創業者島 正博の原点と会社設立まで
創業者・島 正博は、幼くして戦争で父親を亡くし、戦後の貧困の時代を、そのハングリー精神で生き抜いた一人でした。
中学生の頃に隣家の修理工場で働いたことが「手袋編み機」との出会いとなり、「二重環かがりミシン」や「ゴム入り安全手袋」など数々の発明を生み出していきます。
正博が19歳で定時制高校を卒業後、手袋編み機の全自動化に向けた技術開発を進めながら、機が熟したと判断し、島精機製作所の前身となる「三伸精機株式会社」を共同設立したのは、1961年。
しかし、順調な手袋編み機の半自動装置の製造にウェイトをかけようとする共同経営者と、「全自動手袋編み機」の開発にこだわる正博の間に溝が生じて会社が分裂し、新たに株式会社島精機製作所(以下SHIMA SEIKI)が産声を上げたのは、1962年でした。